知られざる京町屋の歴史と、地域での役割

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京町家イメージ

京町屋とは、「きょうまちや」「きょうちょうか」と呼ばれ、京都の都市部にある、町屋のことを指します。建築様式としては町家作りと呼ばれるようです。歴史的には、店屋のことを「まちや」と読むことが多かったようです。

京町屋の構造の特徴

京町屋とは、京都市の定義として、「1950年(昭和25年)以前に、伝統的木造軸組工法で建てられた木造家屋」とされています。

ウナギの寝床、短冊形と言われるように間口が狭く、奥行きが長い構造をしています。

間取りは通り庭、続き間、坪庭、奥庭などがあり、外観の特徴としては、一文字瓦屋根、格子戸、出格子、虫籠窓、土壁があります。また、多くは狭い路面に面しており、隣の家などと軒を連ねています。

京町屋の歴史

京町家の歴史は、平安時代より始まっており、平安時代に地方に徴兵されてきてから、商売をしていたものが京都に定着するようになり、通りに面した、路面横の京町家風の建物を拠点にしました。そこに小屋を作り、京町屋と周りが呼ぶようになったのが起源と言われています。

やがて軒を連ねた京町家が多く作られ、通行人が集まり、さらに周囲の住民も巻き込みどんどんと栄えるようになっていったようです。京都は他の都市とは違い、両側町という道路によって区画されず、道路を挟んで向かい合う居住者によって作られた町になりました。

経済が豊かになることで、強盗などが多発し、身を守らなけれればならないようになりましたが、市民は、両側町となって作った集団で行動し、防衛することで負担を軽減しました。

江戸時代は経済的にも発展し、建築技術も進歩しましたが、江戸の中期に大火事が起き、火事後の復興に住宅の材料が大量に必要となりました。

それにより工事の標準化が図られ、どの家の建具でも形を標準化し、従来よりは大量生産することが可能となりました。共通の建築物を用いて、建築の需要と建築の規格化・標準化ができ、街並みはより統一性が持たれるようになりました。それが京町家の原型となっています。

京町家の保存と地域の活性化

京町家は京都の街おこしとして期待されており、地域住民の3/4程度が京町家の保存に興味・関心があるようです。このことからも、地域住民は京町家に関する重要性を感じとっていることがわかります。地域住民は、自ら街おこしを行い、また古くからある京町家をこれからも保存していき、その美観を楽しめるようにしていきたいと感じているようです。

京都の象徴である京町家は、京都らしさを一面に出す作用があり、また京町家を周囲にアピールできる役割があります。3月8日は町家の日として、記念日協会にも認定されており、イベントを開くなど全国にアピールして、いったい、京町家とは何か?といったことを広める活動も行っているようです。

京都という歴史ある都市の文化の一面に立つ京町家は、今後も、豊かな街の景観を保持する役割があります。また、地域の活性化に取り組み、京町家に住まわれているの方の暮らしや生活を支え、京町家を広める活動を続けていく役割もあります。

京町家は、京都の地域生活の中心としてこれからも続いていき、生活様式や時代の変化にも対応し、今後どんどん周囲の方にも知っていただき、安心して暮らしたり、旅行者や外国人の方が見て楽しめるような、周囲の方のニーズに答えられる建物でありづつけるものでしょう。