ワシリー・カンディンスキー

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ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky (1866-1944)

千葉県佐倉市にあるDIC(大日本インキ化学工業)川村美術館は、国内ではまず一番と言えるカンディンスキーの
作品を所蔵しています。 残念ながら現在では、その所蔵作品すべてが常設ではなく、コレクションをうまく回す形で
1点づづぐらいの展示になっています。 以前は、2階部分を圧倒するようにかなりの数の作品が展示されていました。
しかしながら、東関道をおりて佐倉市内に入ると、彼の作品に久しぶりに会えるかと思うとワクワクします。佐倉には
国立歴史民俗博物館もあり、文化の街であるということが再確認されます。 余談になりますが、御茶ノ水の
順天堂大学も、始まりは1843年に現在の佐倉市に「順天堂」の看板を掲げたことから今日へと繋がっています。

カンディンスキーは、まさに国際人という言葉が当てはまる人です、帝政ロシアに生まれましたが、後にドイツと
フランスの国籍も取得します。
モスクワで順当な生活を送っていましたが、モネの「とある」作品を見て感動し、画家を志ざします。 加えて、
ワグナーにも傾倒したことからドイツへ行きます。我々日本人とも間接的に縁が深いと思うのは、彼が「バウハウス」
で教え、そのバウハウスの芸術活動の「トリアディック・バレエ」で大きな役割を果たしたことです。 戦後に発達した
団地文化のDKの考えかたは、まさしくバウハウスが原流です。 海外で高い評価を受けたソニーが、そのCMテーマを
求めたのが「トリアディック・バレエ」でした。 トリアディック・バレエは白鳥に代表される従来のバレエとは
全く異なり、そのトリアディック=「三つ組み」の意味(キリスト教の三位一体も指す)の「滑稽な場」、「荘厳な場」、
「幻想的な場」の3場面を3人のダンサーが12通りのダンスを特徴的な18種類の衣装を付けて踊るという、独創的な
芸術= performance artsでした。
ソニーは、CMの為に復元し、それは貴重なアーカイブとなっています、その
再現CMを電通で製作し、高い評価を受けたのが女優沢尻エリカの前夫ということにも面白さを感じます。
高城氏はああいうことで世間一般に有名になってしまいましたが、80年代後半からはその類い稀な才能を
評価する人は多く、デジタルな世界への着目も早かったです。昨今流行りの代官山ですが、
早くから代官山に居を構えた、時代を先駆ける面白い人でした。

カンディンスキーは、残念なことに時代と戦争に翻弄されたと言ってよいでしょう、その彼が米国への脱出を拒み、
フランスに止まり続け、そして、フランスで亡くなったことに彼の美術評論家としての気概を垣間見れるような気がします。
一番上の作品は、2014年の彼の生誕148年を祝い12月16日に、あのグーグルのロゴとして採用されたことも
ある作品です。

インプロヴィゼーション

略歴

1866年 12月 モスクワに生まれる
1888 ~1892年 モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶ
1892年 従姉妹のアーニャ・チミアキンと結婚した
1896年 ミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事
1903年 『青騎士』
1904年 『日曜日(昔のロシア人)』
1909年 新ミュンヘン美術家協会会長となる
1910年 最初の抽象画「インプロヴィゼーション」シリーズを発表、ミュンヘンでの不評を受け、会長辞任。
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで芸術連盟の展示会に参加、高評価を得る
1911年 フランツ・マルクとともに新ミュンヘン美術家協会を脱退して「青騎士」(デア・ブラウエ・ライター)を結成、代表作の『コンポジション』シリーズはこの最初のドイツ滞在期に制作された
1917年 ニーナ・アンドレエフスカヤと結婚
1918年 革命後のモスクワに戻る、革命後のソ連では前衛芸術はレーニンにより「革命的」として評価され、カンディンスキーは政治委員等を務めた
1921年 スターリンが台頭するにつれ前衛芸術が軽視されるようになり、ドイ
1922 〜 1933年 モダニズムに大きな影響を与えたバウハウスで教官を務める(33年にナチス・ドイツによってバウハウス閉鎖まで)
1933 年 フランスに亡命
1941年 ナチスによりフランス陥落、それ以降占領下のフランスでは、彼の作品は禁書扱いとなり、不遇をかこう
1944年 パリで最後の展覧会が開催、同年年末13日にパリ郊外に位置するヌイイ=シュル=セーヌで永眠、享年78歳。
1967年 未亡人が晩年の彼を支えた事でレジオンドヌール勲章を叙勲

最後になりますが、彼は抽象絵画の創始者であり、平行して、多くの美術に関しての著作があり、より美術理論家として有名であることを記しておきます。

どうでしょう、お気に入られたら一枚?
弊社ではそんな皆様のお手伝いもさせていただいております。

参考お取引価格

作品名: Rigide et courbé 1935年作
サイズ: 114 x 162.4 cm
価格:   2億6千万円 (2016年11月)

作品名: Ohne Titel 1923年作
サイズ: 46.4 x 42.3 cm
価格:  約7千万円 (2016年2月)

written by s.m. yoshida
dec. 2016