ファベルジェ(Fabergé)・エッグ(インペリアル・イースター・エッグ)

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Fabergé Egg (1885 ~ 1917)

映画や文学がお好きな方なら、古くは「007」シリーズを始め多くの作品に名脇役として登場した
「ファベルジェ・エッグ」はすぐに思い出されるでしょう。この美しき「卵」達を製作したファベルジェをご紹介したいと思います。

1842年に創業、ロシア皇室との密接な結びつきから歴史の荒波に翻弄されながらもその波間で
煌めく宝石とでも形容しようかと思います。

代表的な作品は、ロシア皇室のために作りづつけた『インペリアル・イースター・エッグ』です、
総数65個とされますが、現存し所在が確認されている数は44個、14個は所在不明、残念ながら失われた作品もあります。
欧米をはじめとするキリスト教圏では、初春(春分の日の後の最初の満月の次の日曜日)にキリストの復活のイースター(復活祭)を祝います。
通常では、「ゆで卵」を綺麗にデコレーションし、それを隠し子供たちに探させる楽しいイベントであったり、
有名パティシエやショコラティエがチョコレートで作った「卵」を大人のプレゼント交換として楽しみます。

ロシア皇室では、食せる卵ではなく、1885年、皇帝アレクサンドル3世が妻の皇后マリア・フョードロヴナへの
結婚20周年のお祝いに宝飾品の「エッグ」を発注したことが全ての始まりとなります。
下の画像 ↓「最初のめんどりの卵」と名付けれた最初の作品は現在、サンクトペテルブルグのファベルジェ美術館に所蔵されています。

お約束として、すべてのこのインペリアル・イースター・エッグにはトリックがあり、何か
「お楽しみ」が隠されています、この作品の場合はエナメルコーティングの卵を割ると(開けると)、
小さな黄金の卵黄があり、さらにその「卵黄」を開けると、「黄金の鶏」、「ダイアモンド製の冠」と
「ルビーのペンダント」が出てきたそうです。残念ながら、現在、その冠とペンダントはありません。

皇后はいたくお気に入りになり、以後継続して発注されます。1894年のアレクサンドル3世崩御からは、
息子のニコライ2世がこの良き慣習を引き続き、妻アレクサンドラと母・皇太后マリアに送り続けます。
時代が後になるほど、精巧で緻密かつ贅沢な作品へと進化しています。 人気となったインペリアル・イースター・
エッグは、ロシア帝室以外にも、第9代マールバラ公夫人 (米国人で英国貴族へ嫁ぐ=コンスエロ・ヴァンダービルト) 、
ノーベル家、ロスチャイルド家といった富豪からも発注がありました。

冒頭の写真は、ニコライ2世発注の「薔薇の蕾」1895年制作。

↓マールバラ公爵夫人発注(ピンクの蛇の時計) 1902年

Version 1.0

ファベルジェ家は、ユグノー(フランス新教徒)でナントの勅令が破られた際にフランスからドイツ等を経由して
ロシアに落ち着いた経緯があります、居を構え、宝石商として成功したにもかかわらず(長くは続かず)、
ロシア革命を契機にロシアから追われスイスへと、そして、ファベルジェの商標権も失う・・・

革命政府により創業家のいないファベルジェ商会は国有化となり、存続をします。 その後の変遷を経て、
歴史は巡り巡って、2007年、新オーナーのもと、創業家との” reunification”(再統合)を発表、
今日に至っています。 現在では、インペリアル・イースター・エッグを彷彿させるミニ・エッグのチャーム等の素敵なラインを展開しています。

【参考取引価格】
2004年2月 マルコム・フォーブス・コレクション9個 1億ドル(約117億7千万円 1$=117円)
現在はサンクトペテルブルグのファベルジェ美術館に収蔵
(本来であれば、ササビーズでのオークションの予定であったが、個人間の取引となっった)

2007年11月]ロスチャイルドのエッグ 8900万ポンド(約127億1427千万円 1ポンド=144円) クリスティーズのオークションにて

余談になりますが、2004年に売買のあった「フォーブス・コレクション」とは、有名雑誌の「フォーブス」
の元発行人だった故マルコム・フォーブス氏がコツコツと大金をかけて収集したコレクションでした。
彼の死後にさっさと売られてしまった訳です。が、卵達が、ソビエト終焉後のサンクトペテルブルクにまとまって
帰っていけたことは大きな意義と言えるでしょう。

written by s.m. yoshida
jan. 2017